健康怠惰生活(仮)

書き留めておきたいことを書き留めておく用にしています

本気部屋探し

一人暮らし計画始動中。

生まれてこのかたずっと実家に住んでいる訳だが、そんな私もいよいよ一人暮らしに踏み出そうと思う。と言う決意をここ2年の間に大小合わせて少なくとも50回以上は表明している。一人暮らししたいなあ〜という軽い希望から、内見に行く本気モードの時まで、何度もこの思いを繰り返してきた。一人暮らしと言っても県外に出るつもりもないが、もう少し職場にも近く、都会に住みたいという欲はある。ただ、転勤や転職などのやむを得ない事情もないため、いつでもできるという事実に甘えて、いつまで経っても始めないでいる。意欲はあるのに毎回踏みとどまってしまう理由は「めんどくささ」と「寂しさ」この2点に尽きる。

「めんどくささ」について、私はボンビーガールで初めて上京してくる無知な女の子並みに高望みの条件で探しているので、ぴったり合う物件なんてそうそうない。この理想の条件じゃヒットしないと言うことはどこを妥協しようか・・・と考えているうちにもう息抜きで見始めたYouTubeのおもろい動画が止まらなくなってしまい、部屋探しはキュピーーンと宇宙の彼方に消える。実際ボンビーガールの希望を満たす良い条件が提示されている広告は2億%オトリ広告だし、オトリ広告だと分かっていても一瞬「もしかしてこれ今私だけが見つけている超ラッキーオンリーワン物件!?」とポジティブな考えが脳内を占拠する。不動産屋に行くと案の定詐欺のような説明をされ(この部屋はさっき埋まった、家賃がこの金額なのは初月だけ、今すぐiTunesカードをカッテキテect)案の定「おい詐欺やんけ!!」と言いたくなるのをグッと堪えてニコニコし、案の定他のクソ物件を紹介される。そしてだらだら説明を聞き、案の定別の物件の内見に行くカモが私である。雇われたエキストラかと思うほどに模範行動である。時給をもらっても良いのではないか。カモになる自分を自覚するのは悲しいが、こうして世界は回っている。カモが世界を回していると言っても過言ではないのだ。自尊心。

2つ目の要因「寂しさ」について。一度過去最大に本気で一人暮らしを考えた時、(契約には至らず内見しただけだが)未来の自由な生活を想像して胸を膨らませ、ルンルンで家に帰ってきた。夜中両親が寝静まった中1人で風呂に入りながら「この家から出るのか〜」などと考えていたら寂しくて涙が止まらなくなり一人暮らしはやめた。意思、弱。この寂しさの話は書き出すと長くなりそうなのでまたいつか真面目な時に書くことにする。

以上2点の理由から、一人暮らしはそう簡単には始められないことが証明された。

証明おわり。

ただ今回はなかなか本気だ。本気のルートで本気の物件探しをしている。なぜ一人暮らしをしたいのかと言うと、私は実家が大好きで家族も大好きなのだが、このまま一緒に住み続けてしまうと平凡で幸せな日々と引き換えに、何も考えず行動しないまま20代を終えて後悔しそうな気がするからだ。周りは何も悪くなく、家も家族も最高に大好きだ。だからこそ、今のままでは新しい場所に踏み出そうと思えないのだ。ワクワクすること、自分が挑戦したいこと、没頭できること、意外と才能がありそうなこと、知らない分野のこと、いろんなことを若いうちに能動的にやって自分の人生の中でいつかプラスになるような新しい発見をしておきたい。この気持ちは漠然と心の中にあるが、今の何不自由ない幸せな生活から抜け出さなければいけない強制的な理由がない分、そこに甘えて平凡な日々を過ごしてしまう。今の当たり前のこの生活こそ幸せだし、失った時どれだけ幸せだったかをより実感することだろう。でもこのままの生活が続くことを最高点として満足している訳でもない。難しい。何度も同じことを言ってるようだが、今でも十分幸せだけど、また違う方向性の幸せを今のうちに見つけてみたい。

良い家が見つかるといいなあ。

もんじゃはあかん

「飲み過ぎないようにしよう」とすら思っていない時こそ、飲み過ぎてしまう。

人間とはそういうものだと思う。「絶対に忘れ物をしないでおこう」と思っているうちは忘れ物をしない。「忘れ物をしないでおこう」なんて頭の片隅にも置いていない時にこそ、忘れ物をしてしまう。だいたいそういうのは気を張っていない時に起こる。あんまり飲まない予定の飲み会で楽しくなっていっぱい飲んでしまうことはよくあることだし、仕方がないのだ。

二日酔いというものは、次の日の元気を前借りしていると聞いたことがある。確かにそうかもしれない。飲んでいるその日はうるさいくらいに元気で、根は人見知り気味の私もアルコールハイのようなある一定のゾーンに入ると元気無限大地球人皆友達モードになれる。次の日には凄まじく後悔する。絶不調という言葉がこんなにもぴったり当てはまる日はない。でも逆に、次の日のたった1日分のエネルギーを前借りしただけで数時間地球人皆友達モードになれるなら儲け物な気もする。サイヤ人はこういうシステムなんだろうか。普通に過ごしていたら事前に数日間エネルギーを貯めてたとしても外向性3000%にはなれない。うまく使えたら普段できない経験ができてお得なのかもしれない。とはいえ何でもやり過ぎはよくない。サイヤ人になるなら周りに迷惑をかけないように、節度を守って飲むのが正しい楽しみ方である。

なんの変哲もない会社員である私は、土曜日の夜によくサイヤ人になる。日曜日は絶不調の擬人化として家で穏やかに過ごす。二日酔いの日は、食べたいもの・食べられるものが決まってくる。カップ麺が特段においしく感じるときもあるが、私は麺をすする行為自体が胃の絶不調を助長するのであまり受け付けないことが多い。パンも麺も甘いものもいらない。なんか甘くない固形物が食べたい。こんなときに最近私的に大正解なのがゆで卵である。ゆで卵は本当にちょうどいい。大好き。作るのも簡単で安価である上に見た目まで可愛い。才色兼備とはゆで卵のためにある言葉。私は塩胡椒でいただくのだが、本当に正解というか優勝おめでとう!生まれてきてくれてありがとう!という気持ちになる。(卵なので正確には生まれていないという皮肉を含んでしまう)このように二日酔いの日曜日、私はもっぱらゆで卵をゆでまくっている。

最近は若さの数値が右肩下がりになってきたからか回復が遅く、夜まで地味な不調が続くことがある。実家で晩ご飯を食べるとき、楽チンだという理由で日曜日によく作られるメニューがある。

もんじゃだ。

間違いなく一番やってはいけない。二日酔いの日に一番見たくないメニューランキング2位以下を大きく突き放し堂々の1位。総得票数は70億で世界が満場一致という地球史上初の快挙。理由は見た目が悪いの一択である。必死に外に出そうとしたものをまた摂取するようにしか考えられないのは100%私が悪いが、可愛くて固形のゆで卵を欲しているこの状況でのもんじゃは愛しのゆで卵ちゃんと対極にあると言っても過言ではない。そもそも私はもんじゃのことをいつまで経ってもよく分かっていない。どのタイミングでどういう味わい方をすることが公式に推奨されているのだろう。コゲを楽しむのですよね。でも家のホットプレートでやるとあまりコゲてくれないし、なんか伝統儀式かのように気合いを入れて土手を作る割に真ん中に入れる汁が多過ぎてすぐ決壊しては「あぁ〜」と言ってから「まあいっか〜」と言うことが予め決められている世界共通のシナリオがある。これは寸劇なのだろうか。同じ台本でいかに演じるかみたいな一種の試験なのだろうか。忘れた頃に途中で挟むセリフの一つに「この土手って意味あんのかなあ?」がある。これに対する返答は「混ぜたら一緒やしな」が50%、「どやろな」が48%、無視が2%である。まあ、こんなことを言いながらもせっかく作ってくれたもんじゃはしっかりと感謝していただく。

おいしい。

あざは猫である

ある日の夜、終電で帰宅した。

午前1時頃の地元の町は人もまばらで、今なら何をしても許されるような、でも誰も助けてくれないような、無の雰囲気が漂っていた。駅の駐輪場に停めている電動自転車に乗って帰路に着く。最近祖父から譲り受けた電動自転車は、坂の多いこの町に救世主として現れた文明の利器だ。これまで人力自転車(普通の自転車)のみで生活してきた20数年、坂を登るのがしんどいからと何度遠回りしたことだろう。なるべく坂に遭遇しないルートを探して生活してきた。電動自転車を知ってしまったらもう人力自転車には戻れない。こうして人間は退化していくのだな、としみじみ思うのであった。この感覚は「泡で出てくるハンドソープ」が登場した時に感じたものと同じだ。我が家に泡で出てくるハンドソープが初導入された日、私は子どもながらに、あぁ、こうして人はハンドソープを泡立てる筋肉が退化していくのだな、と思ったのだった。(ハンドソープを泡立てる専用の筋肉なんて無いので実際はなんの支障もなかった)

夏の日の深夜に自転車を漕いでいるとたまに、もう少し外にいたいという目的不明な希望が顔を出してくる。しかも今年の私は電力という強力な味方がついている。どんな道でも躊躇なく進むことができるし、体力も消耗しない。人力しかない頃は、「この坂を下るとあっちの激坂を登らないといけない」とか「この道行くよりあの道の方がしんどくない」とか、とにかく後悔しないように慎重になっていた。私の性格と似ている。でも今は違う。好きな道を好きなように爆進できるのである。普段は絶対に通らないスキージャンプのような下り坂を猛スピードで駆け下り、少し遠回りしながら家に帰る。人も車も全く通らず、田舎のいい夏の夜だななんて思いながらもう一度その坂を駆け下りようとUターンしたその時だった。

電動自転車で初めてUターンをした私は、なんか知らんがうまいこといかず自転車を倒してしまった。私自身は転んだというほどダメージはなく、ケンケンでおっとっと、となったくらいだったが、重い重い電動自転車が倒れ、カゴから鞄の中身が散乱した。私と電動自転車の双方は、幸い命に別状はなかったが(全く大した事故ではない)自転車が倒れる時にハンドルが私の右太ももに直撃し、激痛だった。

家に帰ってふと確認すると、ミカンぐらいの大きさのあざになっていた。

私は普段からよくあざを作る。階段でスネを打ったり、知らない間に小さいあざがいくつか出来ていたりする。この前のあざがやっと退去したと思えばまた絶えず新入りが入居しにくる。私はあざ界では一等地の人気不動産なのではないか。そしていつも新しいあざを発見するたび、これじゃPerfumeに入れないなと残念に思う。Perfumeは何十年もあざひとつないあんな綺麗な手足を維持していて本当にすごい。何か特殊コーティングとかしているのだろうか。ここで一つ補足しておくが、決して他人からの暴力などで発生したあざはひとつもないことだけはお伝えしておく。理由はすべて「自身の不注意」この1点に限るので安心して欲しい。

このようにあざには親近感さえあるので、今回はでっかいのできたなーーくらいに思っている。だが、少し前には転んで肘を擦り剥いたことがあった。いい歳してなんなんだと自分でも思うが、溢れ出るワンパクを抑えきれないようだ。その時は広範囲で血が出たのでキズパワーパッドの大を買って数日に一度貼り替えるなどしながら傷の経過観察と治療を行った。実に面倒だった。風呂に入るとめくれてきてしまい、交換。数日に一回は経過観察のため、交換。傷からこれでもかと組織液が出てきてパワーパッド外に溢れてしまい、交換。ちなみに組織液は濃い黄色でトロっとしていて、初めてキズパワーパッドから漏れてきた時はメープルシロップかと思った。ついに私は肘からメープルシロップを生成できるメープルシロップ自給自足能力を手に入れたのかと考えてみたがメリットがなさすぎてすぐに現実に戻ってきた。そんなことはどうでもいいが、とにかく傷は、治療するのに時間もお金もかかる世話の焼ける怪我だった。

それに比べてあざはどうか。日に日に色が変わり、小さくなっていき、放っておいたら勝手に治ってくれる。なんと世話のかからない怪我。傷が犬だとしたらあざは猫だろうか。勝手に散歩に行って勝手に満足してくれる。たまには一緒に遊ぶ。(遊ぶ?)今、過去最大級に大きなあざができてしまったが、これが日々いろんな表情を見せてくれて(色が変わって)徐々に自立していき(小さくなり)遠くへ行ってしまう(完治する)のを楽しみにしている。

今回はこんな自分の不注意で出来たあざなので大丈夫ですが、世界中の人ができるだけあざを含め怪我のない生活を送れることを願っています。

 

さっそく

ブログ開設おめでとうございます

最初の記事を書いてみましょう!

 

と、お祝いムードに包まれているので、さっそく何か今日から書き始めたいと思います。

 

ブログって、何かに特化した情報などを書ければいいのですが、

生憎何にも特化しない人生を歩んできてしまいしたので、

誰も見ていないし日々思ったことを自由に書いていこうと思います。

なぜブログを始めたのかというと、パソコンを買ったので単純に使いたいからです。

 

そういえば最近、昔の思い出を私だけ忘れていることがよくある気がします。

記憶喪失にもなっていないし、思い出したくない過去もないのですが、

日記もつけてこなかったしあまり振り返ることをしていないからでしょうか。

結構前を向いて生きているので、過去の忘れている思い出は周りから補完すればいいですが

こういう日記みたいなものがあると、思い出のメモリーを増やせるのかもしれません。

 

イキってMacを買ったので使いにくくて仕方ありません。

まだデリートキーが見つかっていません。

 

明日にはデリートキーが見つかっていますように。